武蔵野大学 工学部 環境システム学科(東京都江東区有明)に関連したニュースを紹介します。私たちは環境科学の専門力とリーダーシップを身に付けたプロフェッショナルを目指します。

一方井誠治教授の「新環境政策論」第2講

持続可能な発展に関する日本の国家戦略

松下和夫さんは、本連載※の第1~4回で持続可能な経済に関するこれまでの世界的な研究の状況や、異なる三つの経済モデルについて紹介されました。本稿では、それらも踏まえつつ、持続可能な発展に向けた日本社会の現状と政策形成の実態について考えてみたいと思います。

※地球・人間環境フォーラム発行「グローバルネット2015年5,6,7,8月号」掲載、連載「21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第1~4回」の記事

日本における持続可能な発展戦略の策定
1992 年にブラジルのリオデジャネイロで開催された、「環境と開発に関する国連会議(通称、地球サミット)」 では、国連気候変動枠組条約や生物多様性条約の署名開始とともに、持続可能な社会に向けた指針である 「リオ宣言」 や人類の今後の具体的な行動計画としての「アジェンダ21 」が策定されました。

これを受けて、世界の国々もそれを実施に移すための国家戦略(国別行動計画)の策定が求められました。この頃は、 リオで史上初めて地球上のほとんどすべての国家・地域の首脳が集まった会議が開催され、合意文書が採択されたという一種の高揚感があり、これを実施していく各国の国家戦略が策定されていけば、人類の持続可能な発展は可能になるのではないかという期待が、私も含め、高まった時期でもあったと思います。

ブラジルから日本に戻った私は、環境庁地球環境局の調査官として、庁内の有志の力も借りて、全40 章に及ぶ「アジェンダ21」の翻訳・出版作業を行い、併せて関係省庁とも連携を取りつつ 「日本版アジェンダ21」の作成作業に携わりました。元の「アジェンダ21」は、貧困問題、女性問題、雇用問題など環境のみならず、経済、社会の各分野を広くカバーした文書であり、必ずしも日本国内では大きな問題となっていないような項目もあり、それを日本の国家戦略としてどのように再構成すべきか迷うところがありました。 しかしながら、 まずは、地球サミットで示された40 章のすべてについて、 日本の状況と今後の方向をとりまとめることが重要と考え、サミット翌年の1993 年12 月に国連に提出しました。これは、国別行動計画の提出としては当時世界でも最も早い対応の一つだったと思います。

しかしながら、それから20 年余を経た今から振り返ると、これは文字通り「拙速」であったとの深い個人的な反省があります。逆にいうと、当時、これが「拙速」であるという自覚がなかったことが大きな問題です。

それでは、いったい何が「拙速」だったのでしょうか。それは、簡単に言うと、持続可能な発展についての当時の日本における深く明確な現状認識とそれを変えていくための明確なビジョンに欠けていたということです。ただし、やや言い訳になりますが、当時は、環境庁を中心に、 同時進行で環境基本法の策定や環境基本計画の策定作業を行っており、それなりに持続可能な発展を実現する要素について考え、それを何とか制度化しようという努力がなされており、いずれはそれが日本の持続可能な発展の有力な道しるべとなるとの思いもありました。

事実、1994 年に閣議決定された初めての環境基本計画は、「日本版アジェンダ21 」 に代わり、その後の日本の持続可能な発展のための国別行動計画として、国連に登録されるようになりました。

この第1 回の環境基本計画は、「循環」「共生」「参加」「国際協力」 を四つの基本的目標として、環境基本法で規定された 「健全な経済の発展」 などを具体化するための国の計画として策定されました。 このことは、それまで「公害対策基本法」 と「自然環境保全法」を軸に構成されてきた日本の環境政策の枠組みを大きく変えるものであり、当時環境庁にいた私もその実効性に大きな期待を寄せていま した。しかしながら、それは決して十分なものではなかったのです。

気候変動対策のつまづきと東日本大震災
地球サミットで本格的に開始された気候変動問題に対する国際社会の対応は、1997 年に京都で採択された京都議定書につながり、 日本は温室効果ガスについて1990 年比で6%の削減目標を引き受けることになりました。 しかしながら、 日本は、その目標をなかなか達成することができなかったのです。 もちろん、形式的には、 日本は 「京都議定書目標達成計画」 という閣議決定文書も作り、 どのような分野でどの程度温室効果ガスを削減すれば2008 〜 2012 年の目標達成期間に間に合うかという計画も作成していました。

ところが、京都議定書採択後、経済が比較的順調に推移していた2007 年に至る間、 日本の温室効果ガスの排出量は、計画的な削減どころか増加のトレンドとなっていたのです。 気候変動問題は、現在の人類が直面している最も深刻な環境問題であるといっても過言ではなく、 日本の状況は、持続可能な発展からさらに遠ざかるだけではなく、それを実現するための有効な政策手段も確立されていないことが次第に明らかになってきました。結果的には、 日本は京都議定書の目標を達成したのですが、 その背景には、たまたま2008 年に起こったリーマンショックと世界的な景気低迷に伴う温室効果ガスの排出量の大幅な低下があったことは明らかです。

さらに、2011 年の東日本大震災と原発事故の発生により、 これまで気候変動対策の切り札と位置付けられてきた原子力発電所の利用拡大は、果たして持続可能な発展の観点からは、妥当なものであるのかという根本的な問いが発せられることになりました。

もとより 「持続可能な発展」 という概念は、松下さんも紹介されたように、幅広い概念です。そこには、環境保全の要素と経済発展の要素がともに含まれており、その構築に当たっては長期的な視野も必要です。

そのような観点から振り返ってみると、1993 年に策定した「日本版アジェンダ21」やその後の「環境基本計画」 は、 いずれも日本の持続可能な発展に関する冷静な自己分析や、そこで得られた課題を解決するための基本的かつ長期的な戦略的思考に欠けていたというのが、 これらの策定に関わった私の思いです。

日本はなぜ持続可能な発展戦略が弱いのか
松下さんの連載では、最近の地球環境問題などへの対応で日本が立ち遅れている理由として、公害対策の成功体験を挙げています。 そこでは、技術開発、規制、補助金といった政策手段が比較的有効に機能したのですが、 温室効果ガスの削減などの新たな問題の解決のためには、それだけでは足りず、環境の側面のみならず、 経済の側面からの根本的な対策が不可欠です。

しかしながら、経済の側面から大胆な対策を打っていくためには、その方向性を支える確固たる考え方が必要です。誰しもこれまで当たり前のことと思ってやってきた経済の方向性を変えるのは大きな抵抗がありますし、経済の方向を変えるときには必ず利害関係の対立が出てくるからです。とくに、気候変動問題をめぐる持続可能な発展を考える上では、気候変動政策とエネルギー政策との緊密な連携が不可欠なのですが、 日本では、 エネルギー政策は経済産業省の専管事項とされ、環境省が所管する環境行政とは切り離されてきました。このことは、極めて不幸な事態であり、日本の持続可能な発展戦略を構築する上で大きな障害となっていると思います。

次回は、 ドイツの政策と比較しつつ、持続可能な発展戦略に係る日本の問題点と今後の対応の方向についてさらに論じてみたいと思います。

※地球・人間環境フォーラム発行「グローバルネット2015年9月号」掲載、連載「21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは」の記事を転載

一方井誠治(いっかたい せいじ)教授のプロフィール

1974年東京大学経済学部卒、75年環境庁(現環境省)入庁、 外務省在米大使館などを経て、2001年環境省政策評価広報課長、03年財務省神戸税関長、05年京都大学経済研究所教授、12年武蔵野大学環境学部教授、15年より武蔵野大学工学部環境システム学科教授 兼 武蔵野大学大学院環境学研究科長。京都大学博士(経済学)。環境庁計画調査室長として、94年版と95年版の環境白書を作成。専門分野は地球温暖化対策の経済的側面に関する調査研究、環境と経済の統合。著書に「低炭素化時代の日本の選択-環境経済政策と企業経営」など。

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